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ファッションとアイデンティティーとルッキズムと多様性

ファッションの多様化とアイデンティティ

昨今、ファッションは様々なジャンルに分けられ、枚挙に暇がない。

それらの多様性は保証され、十年前では人々に敬遠されるようなファッションでも受け入れられてきている。(刺青や過激なファッション)

そして最近では

その人のファッション=その人の性格や内面(アイデンティティー)

というとらえられ方をされてしまうのだ。

別にそれは悪いことではない。逆にゴスロリを着ている人がゴスロリを好きじゃなかったら度肝を抜かれてしまうだろう。

ファッションとはコミュニティへの隷属である

HIP-HOPが好きな人はストリート系ファッションを好む。

これだけ聞くとたまたまだと思うかもしれないが、次の例ではどうだろうか?

○○高校の制服を着ているのは、○○高校の生徒である。

つまり、その人の着ている服はその人の属しているコミュニティを表しているのだ。

ファッションの多様性とルッキズム

上記の内容では、ファッション=内面 という構図が出来上がってしまった。

しかし、それでは昨今話題に上がっているルッキズムの考えと反してしまう。

そもそもファッションとはその人の性別や体形によって似合う・似合わない、

着れる・着れないというハードルがあるのだ。

いや、そもそもルッキズムの範囲が広すぎる。

「見た目で人を判断するな」というのは至極真っ当な意見である。

それでも、刺青だらけの見た目のいかつい兄ちゃんとスーツを着た平凡なサラリーマンっぽい人、どちらと飯食うかと聞かれたらとりあえずサラリーマンっぽい人を選ぶだろう。

もう全部気にするの辞めない?

もう多様性自体が多様性しすぎてこんがらがってきている。

LGBTQ、ルッキズムヴィーガン、etc....多すぎる。

全ての多様性を気にしていたらブログやSNS上ですら自分の個人的見解を書くことさえできない。

もう全て気にしないようにすればいいのだ。もし自身の体形や性的マイノリティな部分を指摘されても無視すればいい。

自分も自身好きなこと、好きなファッションをして周りの意見なんて聞かなくて良いのだ。

筆者はこれを実践している。ファッションによって自分の属性を決められるのが嫌だ。

しかし、外では捕まってしまうため、自宅内では基本全裸だ。

さすがに法律には逆らえない。

しかし、ささやかな社会への反抗として外では半分くらいの確率でノーパンである。

デメリットとしては、脱糞した際に大変なことになってしまうくらいだ(敗北2回)